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モテたければ、理系男子になるべきである

理系男性に対する「真面目、冷静、知的で論理的」という見方が、流行から共通認識へと変化してきました。
さらにこの要素に加え、極めて希薄な恋愛経験という現実性を付与したテレビドラマ『逃げ恥』がヒットし、理系男性のイメージは定着したという感があります。

 

残念ながら実際の理系の人の多くは、見当ハズレな発言をしょっちゅうします。全力の自信を持って。
これは一流と評価される大学の学生や、出身者、教授でも同じことです。ほぼ全員が、飲み屋でガバガバ理論を説いて悦に入るオッサンになっています。

実際のところ「論理に対して厳密性を求めている」という自信のみが存在し、一方で事実としては論理が追いついていないのです。

 

これは、自分の知らないことに対して無自覚に勝手な仮定を置いて思考しているからですが、さらに問題なのは、勝手な仮定をしているせいで、自分の知識の無さを自身が確認できなくなっているところです。

さらに悲しいことに、人間相手でも同じような過ちを犯した結果、ありがちな理系男子失敗ネタをみんなで踏んでいきます。大概の理系は自分の脳味噌に価値が存在していると考えており、失敗もまた誇れる思考の結果なので、反省はあまりしません。

当然ながら、彼らは真面目でも冷静でもありません。おおよその場合それしか知らないだけです。理系がキレると変な感じになることが多いのは、単純に普段から感情表現を怠っているからにすぎません。

 

つまり、理系は一般の社会生活、さらには親密な関係下での生活において、知的でも論理的でもなくなるということです。

考えなければ人ではないという言説を信仰する人はとても多いですが、おもむろに対偶を取ってみると、たしかに考えるだけならば人であればだいたい可能そうな気がします。

飲み屋で思想を語るオッサンも考えていますし、あとはヤンキーとかもああ見えて色々考えています。もちろん、思考の質的な差は当然ありますが……。

 

大半の理系の外見は知的な雰囲気からは程遠く、人格的な性質すらも変わっているとなれば、いわゆる"理系男子"のイメージは、現実の理系男性をまったく指していないということになります。

つまり"理系男子"は、現実を基準にして発生したものではなく、純粋な理想像です。現実からの引力をほぼ受けていない概念なので、これを目指せばニーズと完璧に一致し、激モテとなります。

モテるということは、概念になるということです。みなさんも概念を目指していきましょう。