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ぼっとんべんじょ

糞尿がドンドン溜まっていく場所

性別による思考の違い

僕は、インターネットでいわゆる“童貞芸”をやる。童貞芸という言葉は辞書に乗っている言葉ではないので先に定義をしておくと、典型的な童貞特有の目線に立って物事を見て、そして語るという一連の行為を意味するものである。

たとえば過度に自虐的であったり、もしくは非童貞や女性を敵視した発言がそれにあたる。童貞芸、という言葉を使ったのもまた1つの自虐である。他の人のそれがどういう意図のものかは別にして、僕は本心として思ったことを述べているだけであるが、それを他者から見たときに、まるで一種の芸のように滑稽さをもっているということは否定出来ない。反応を見れば明らかなことだ。

そうした発言をすると、批判を受けることが多々ある。もちろん、女性という広すぎる範囲の対象にレッテルを貼るような見方をしていることには、当然批判があるものだというのは承知しているつもりである。

これは一部の男性を敵視するような発言をしたときも同様である。……と言いたくなるところだが、そうではないのが面白いところで、このときも、批判をしてくるのは大概にして女性なのだ。これには非常に驚く。

受ける批判は、議論的な直接的批判というよりも、人格攻撃である。そこには一般性はなく、的確にその個人だけを対象とした言葉が並べられる。

 

僕はここでその人格攻撃について批判や愚痴を言いたいわけではないし、攻撃性そのものもここでは取り上げない。注目したいのは、思考における対象の個人性である。

男性はとりわけ、物事を考えるとき一般化をすることを考えがちであるように思う。ある事に対する共通項を見つけることで、できるだけ広い範囲に同じ理屈を適用することを考える。「最近の若いヤツは~……」という語り口はその典型である。

一方で、女性は先に挙げた例からもわかる通り、その対象についてのみ注目することが多いように思う。モテ・非モテ議論のような男女の非対称性について語られることの多い場所では、「男だからではなくお前がダメなんだ」という理屈を語るのは必ずと言っていいほど女性である。

 

完全に持論の域を出ないのであるが、この思考手順の根本になるものは何かと考えてみると、それぞれの性別において自身のアイデンティティをどこに置いているかという点にあるように思う。男性は"男"、"童貞/非童貞"というように、自身の属するカテゴリの中でなるべく大きいものに自己のアイデンティティを確立している。女性においては、こうした包括的カテゴリに属することを認めながらも、それと同時に、カテゴリの統計的傾向とされているレッテルには拒絶反応を示すこともまた多い。

男性はよく、"オタク(キモオタ)"を自称したがる。それは、自身をあるカテゴリに属させ、その典型となる行動を取ることでアイデンティティを確立するためである。しかし女性は、たとえば"オタク"あるいは"腐女子"を自称することはあっても、その典型となる、いわゆる"痛い"行動をカテゴリに対して指摘されると、自身には当てはまらない、と振る舞う。これは男性に見られる一種のなりきり芸的なアイデンティティの確立方法とはある意味で真逆の行動とも言えるだろう。女性は本来的にも属するだけでなく、自身もそれを認識しているはずのカテゴリをあえて否定することで、自身のアイデンティティを確立しようとしている。

これは男性批判をした時に女性が批判者のメインとなる現象からもわかる。なぜ女性たちが、自身の決して属さないカテゴリへの批判に対して、時には感情的にまで反論するのか。それは、その男性批判はつまり恋人に対する批判だからである。女性は、恋人という他とは異なる唯一無二の存在に対してアイデンティティを見出しているのである。

 

もしかすると、フェミニストであれば、それは社会で働く男性と、働くことを否定された女性の社会的強制によって後天的に生まれた性差であり、これは男性が生み出したものだ、と考えるかもしれない。

 

僕は、社会的に男性と女性は平等にはなっていないと思っている。また、生まれながらにして脳科学的に、あるいは医学的に解明できる形で差があるからなのか、それとも社会に対する適応機制のような形で変化していったのか、あるいはそのどちらもなのかは分からないが、男女の考え方の違いには埋められられないほどの溝があると考えている。この男女の違いに対して、一概にして男性のほうが優れていると言う気もなければ、同様に女性のほうが優れていると言う気もない。

ここで言いたいのは、その差があるがゆえに、得手不得手があるということである。例えば男性は、物事を一般化するのが得意である。そうした考え方というのはまさに学問のアプローチそのものである。マーケティングなどでも同様だろう。とくに理系では女性研究者が少ないということが嘆かれているが、それは、男性に多く与えられたスキルを必要とするからのように思える。物事を一般化して整理し、次のことを論じる土台を作るという一連の論理的工程に、男性は女性よりも向いているように思う。

逆に、女性は、自己に自己のみの特殊性を与えることでアイデンティティを確立しているから、創作活動などに向いているように思う。というのも、男性では、あまり学問的なアプローチを重視し過ぎると、自分の存在自体というものを忘れてしまうことが多々あるためである。自己と他との差を強く認識することで、自分の性格的個性を表現するという点においては、男性よりも圧倒的に優れていると感じる。画一的でない表現というのは、突然変異的な作用をすることもある。そう考えてみると、この男女の差というのは、生物学的必然といえるのかもしれない。